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アナタノトリコ


「もし、俺と一メートルぐらい離れたら、恭弥の心臓に埋め込んだ爆弾が爆発するって言ったらどうする?」
うーん、と雲雀は考える。死ぬのは怖くない。けれども、こんなことで死ぬのは癪だという気持ちを表情に乗せる。
「どうもしないけど、誰の利益になるの?」
“闘う”以外には“上納金”か“群れ”にしか興味を示さない雲雀からは「どうでもいい」という返答を予想していたディーノは、パタリと胸の上で本を閉じて頭に近いソファで本を読みながら応えた雲雀を見遣る。
今日は連休の中日で、並盛中は静まり返って平和な時間が流れていた。雲雀の根城である応接室のソファでは、休暇を日本で過ごすディーノが怠惰な大型動物よろしく寝転がっていた。雲雀は分厚いハードカバーのビジネス書を読むディーノに、チラリとも視線を寄越さず、草壁が淹れたお茶に手を伸ばす。トンファーをいつから握り始めていたのか、一見、傷一つ染み一つ無いような手なのに、拳を握り続けている所為で節々が盛り上がっていて、決して優しい手ではない。どれぐらいの血がその上を流れたのかディーノは湯飲みを持つ彼の手に何条もの血流を重ねた。それは彼にある夜のことを思い起こさせた。

雲雀を特訓している間、ディーノがキャバッローネのボスという立場を捨てるわけではない。どこかの国の経済状況が、政治情勢が変われば、それが重要な意味をもつものであれば容赦なく緊急連絡が入る。それを処理する間、ディーノは大概雲雀の体に鞭を絡めて、動きを止めていた。よほど自分の腕に自信があるのか、そんな状態の雲雀に背中を向けて話し始めたから雲雀が激怒したことは想像に容易い。要件を済ませたディーノは、無表情に近いボスの顔を薄い笑みで覆いながら雲雀を振り返った。
『闘うだけじゃ解決しないことばかりだ』
『僕には関係ない。僕との闘い(ルビ:ぼく)に集中しなよ』
『そうだな。おまえは全部を求めないもんな』
ぽんぽんとなんの感情も無く、まるで子供をあやすように雲雀の頭を撫でて、絡みついた鞭をするりと解いた。雲雀は上下から挟むようにトンファーを振るうがバシンバシンと軽く鞭で払われてしまう。鞭の一振り一振りが重くて、雲雀は普段のようにトンファーを操ることができない。雲雀の一挙手一投足がすべて見えているように、ディーノは軽やかなステップで避けていく。電話が来る前までディーノは自分をからかうように実に楽しそうに鞭をしならせていたのに、今の表情をなくしたディーノは心ここにあらずで、雲雀は思わず本能のままにディーノにトンファーを投げつけた。
『今のあなたと闘う意味はない』
雲雀が武器を投げつけるという暴挙の意味に気のまわらなかったディーノは、雲雀の怒りを湛えた言葉で我に返る。機械的に自分に向かってくるトンファーをそれぞれ撃ち落とすと、カランカランと空筒の音だけが足元でなった。
それを見届けたディーノが目線を上げた時にはもう雲雀の姿は無かった。
『ボス』
壁に寄り掛かって二人の闘いを見守っていたロマーリオが、パソコンを広げてディーノに見せる。雲雀を追おうと動いた体のまま一瞥すると、浮いた踵をコンクリートに下ろして部下に向き合う。
『政権交代か。――失業率が高くなるな』
『でも、この国はまだ夢の中のままだ』
『そうだな……』
ロマーリオの皮肉が交じる憂い声にディーノは顔を曇らせた。

ディーノは暗い校内を走った。ロマーリオを置いてきた今、灯りがあっても無くても関係なく、足をからませて階段を踏み外して何もないところで転んでようやく応接室にたどり着いた。果たして雲雀はそこにいた。黒の安物のソファに身と横たえて暗闇と同化するように寝ていた。無防備に寝息を立てているが、頬には怒りで紅潮した名残がのこっていた。ディーノは為す術もなく立ち尽くす。
自分は完全に雲雀の興味の範囲外に出てしまったことに、ただ立ち尽くす。戦意を失った雲雀はどうでもいい存在には視線すらよこさない。きっと今、雲雀が起きてもディーノはまるで空気のように扱われるだろう。
ディーノは膝をついて、雲雀の背中に触れようとして寸前で留めた。静かな拒絶は自分の存在価値を根底から否定されているようで、ディーノの気持ちを弱らせる。
『あなたは、僕と何がしたいの?』
背中を向けられて問われたそれは雲雀自身が自分に問うているような響きがあった。返事のために口を開くディーノを遮って、雲雀は問いを重ねた。
『僕はあなたにとって、どんな利益がある?』
『利益だなんて、そんな』
『マフィアは利益がなきゃ動かないだろう?それぐらい、僕にもわかる』
衣擦れの音すら無く起き上がる雲雀は、ディーノに解答を求めていた。と、同時に何か覚悟のようなものをその黒々とした眸に湛えいていた。闇の中、外からの光に鈍く光の中の雲雀の感情が反射する。
『利益は、』
ディーノの声は喉に詰まったように掠れる。
『おまえが強くなること』
『あなたはそれすらも欲するの?――出ていくんだね』
『違う。おまえが強くなること。どんな敵にも負けないように、膝を屈さないように。オレを超えるぐらい強くなれること。利益は、オレだって強い相手が欲しい。そんなところだ』
『赤ん坊は強いよ。それにいくら僕が強くなっても、あなたの組織には入らないよ』
『わかってる。さっきはオレが悪かった。投げられた石がどんな波紋を描くか考えていた。恭弥のことをおろそかにしたのは事実だけど、おまえに興味を失ったわけじゃない。世界はひとつで、世界中でいろんな事が同時に起きている。今、こうして話している間でも、誰かが産まれて誰かが死ぬように。世界は絶えず蠢いているんだ。恭弥、おまえはまだ子供で何も知らない。それはまだ知らなくてもいいかもしれない。でも、知らない罪というものもある。それは判るな。それを教えるべきか、どう伝えるべきか、それを考えていたんだ』
“家庭教師として”という単語を呑みこみ、反論を挟ませないように半ば雲雀にすがるようにディーノは云いつのった。イタリアからすれば東の果ての、国土面積だけ見れば小さな、でも経済的には決して小さくないこの国と縁を持つなんてついぞ考えたことは無かった。でも、同盟ファミリーのボス候補を弟分に持ち、東洋の少年の家庭教師になるなんてどんな運命の悪戯だとディーノは頬を緩める。
彼は運命論者めいたところがあった。人生は生まれた時からディバインデザイン(ルビ:神の采配)されたミッションが決まっていて、どれだけ抗ってもそのレールの上を走ることだけだと心のどこかで思っていた。であれば、せめて自分の役目を全うしようとできうる限りのことをしてきた。傾きかけていたキャバッローネの財政を建て直し、自分の周囲に微笑みの輪が広がっていくことで良しとしてきた。誰かの笑顔が自分の務めだと、みんなが楽しめればそれでいいと無意識に言い聞かせていた。それが雲雀に逢って、振り回されて色褪せていた日々に色がつき始めた。キャバッローネの10代目ではなく、ディーノ自身が必要とされていること。肩書でも富でもましてやルックスでもなく、素のディーノを雲雀は欲した。それがディーノを強く惹きつけた。それも闘う相手としてだなんて、眠れる獅子の心の底を強く揺り動かす方法で。
キャバッローネの9代目の息子というポジションは、彼本人以外は周囲みんなが羨んだ。いつだって彼は捨てる覚悟はできていた。リボーンによって、その覚悟は反対の意味で決めさせられたけれども。
『誰かと向かい合っている時に違うことを考えるのは失礼なことだって、誰も教えてくれなかったの?』
常識の一番遠くに立つ雲雀からそんな常識めいたことが吐かれて、知れず雲雀の両腕を握りしめていた手の力を抜いた。見上げる雲雀に怒りの要素はみつけられなかったのでディーノはへらりと笑った。
『――あぁ、誰も教えてくれなかった。だから教えてくれよ、恭弥』
『僕の家庭教師になるには百年早いんじゃない?』
自分のどこがそうさせたのかよくわからないけれども、雲雀が機嫌をなおしてくれたならそれでいいや。
ディーノは頬を緩めたまま雲雀を抱きしめる。腕の中の強張る体に、必要以上の接触をしてしまったと慌てて両手を離す。
『もう怒ってないから、戻りなよ』
『怒ってないなら飯行こうぜ。もちろん、オレとお前だけで。レストラン貸し切るから』
『なら行く』
そうすんなり立ち上がるとは思わなかったディーノは喜色満面で雲雀に抱きつこうとする。その手はトンファーで寸前で止められる。
『もう一度やったら、わかるね』
さっきまで怒っていた雲雀は好戦的というスパイスをかけつつも、ディーノの好きな種類の表情を見せた。
ディーノはどんな理由であれ、人が笑うのが好きだった。


「また違うことを考えているね」
陽だまりの中、いつのまにか雲雀はディーノの傍らに立っていた。
ディーノは白昼夢から戻ってきたようにふんわりと笑う。
「いや、おまえのことを考えていた」
「どちらでもいいけど、跳ね馬ディーノ、僕の心臓に爆弾を埋め込む利益って誰にもどこにも無いよ」
「いや、冗談だって」
「――あぁ、あなたを目の敵にしているファミリーだったらアリだね。あなたは並盛から離れられない」
理由は自分だと言外に云い放った雲雀はボンゴレ匣から取り出した手錠を指にかけてくるくると回し始める。銀色の軌跡を目で追っている間に、本を持つ手が取られてその手首にカシャンと手錠がかけられた。そしてもう一つの輪は雲雀自身の手首に嵌められる。
「だったら、離れられないようにするまでだ」
ディーノは手錠をかけられた感情の右手を引きながら本を払い落して、雲雀の体を自分の上に引き寄せて倒す。
跳ね馬の紋章が躍る理性の左手で雲雀を抱えて、髪が乱れて覗く額に唇をおしつける。
「縛られる人生はごめんだと思っていたけれど、おまえならいいな」
「何言ってんの、僕はあなたのことなんて考えてないよ」
「知ってる、それが恭弥だ」
猫のようにディーノの上で心地のいいところを探した雲雀は、あふ、と胸の上で欠伸をし、その頭をなでる手の甲には青い炎が踊っている。二人が繋がる奥まった箇所で鎖の触れる音が零れた。
「後で外してくれよ」
「――覚えていたらね」
忘れるわけないじゃないか、とディーノは雲雀を抱え直し自分もまた目を閉じる。
雲雀に囚われたディーノは改めて雲雀をその腕に捕え直す。気まぐれな猫に首輪はつけられない。でも虜になったら心を囚われる。そしてそれは気持ちが走り去るまで離れがたいものになる。体の距離より強固で脆いもの。ディーノは雲雀に手を囚われて、雲雀の心を捉えた。手錠よりも強い気持ち。それこそが二人を繋ぐ見えない絆。

'09全国大会R11のプチオンリー「Cuffmaniax」用ペパ 雲雀に手錠ってまさに鬼に金棒だと思います。


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