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「盈月」 つねみ。



「盈月」

 身体にかけられていたキモノ(ユカタというらしい)に袖を通してボンヤリとしていると、雨月が盆を手に戻ってきた。水差しが二つのっているということは、酒も持ってきたのだろう。
「煙草はいいのか?…と言っても、紙巻きはないから煙管になるが」
 俺が飲むときは葉巻とセットというのを覚えていたらしい。いらねぇとだけ返事をすると、俺は先に水差しに手を伸ばした。
 雨月は先程と同じ場所に座り、夜空を見上げている。今夜は満月らしく、部屋の前の庭は白い光に満ちていた。雨月の横顔は丁度逆光になっていて、その表情は良く見えない。
「いつまでも布団の上に座り込んでいないで、こちらにこないか?座敷の中よりも涼しい」
「…ああ」
 意識のなかった間に身体は清められているようだ。その気遣いが変わらなさすぎて、俺は勝手に後ろめたさを感じる。
 のろのろと身体を起こして移動すると、雨月が座っている反対側の障子の影になるように座った。
「もっと縁側の方に座ればよいのに」
「夜は嫌いじゃねぇけど…月の光は好きじゃねぇんだよ」
 俺の言葉に、雨月は驚いたように目をしばたかせた。
「あれほど夜襲が得意だったのに?」
「それは俺が夜目が利いたからだ。この目じゃ昼の方が見にくいからな」
 全体的に色素の薄い俺は、強烈な太陽の光が苦手だった。それに自分のナリが目立つ事も自覚している俺は、どちらかというと夜動くことを好んでいた。まあ、ジョットの守護者で目立たない奴は一人もいなかったけどな。
「…お前は迷信だと笑うだろうがな、あっちじゃ月は不吉なものの象徴なんだ」
 月の光は人を狂わせる——特にこんな満月の光は。
 俺は手元に盆を引き寄せると、勝手に酒を飲み始める。さすがにワインはないのか、米からつくられているという透明な酒だ。冷たいそれを口に含むと華やかな香りが鼻を抜けた。
「そうか。こちらではそういうことは言われていないな。よく昔話には出てくるのだが…」
「昔話?」
 思わず出た俺の言葉が意外だったのか、雨月は楽しそうに目を細める。
「そうだな。月にはウサギが住んでいて餅をついているとか」
「…ウサギ?なんでだ?」
 しかも、餅をついているって…食べ物を作っているというのか?
「さあな。そう言われているのだ」
 にっこりと笑った後、雨月は再び月を見上げる。
「後は、月に住む天上人が下界に降りていた姫を迎えに来るとか」
「…はあ」
 伝説の類だろうか。こういう話を聞くと、こいつは俺とは全く違うモノを見て生きて来たのだと実感する。本来ならば決して見ることのない別の世界。それが、友人であるジョットの危機だからといってすべてを捨てて海を越えてきたのだ。今まで自分が信じてきたモノが覆されるような恐怖感はなかったのだろうか。
「後は、ある男が天女を妻にする話もあったな」
「月に住む人間をか?」
「ああ。だから月に帰らぬように、その手段を隠してしまうのだ」
「…それ、狡くねぇか?」
 思わず呟くと、雨月はフッと笑った。
「そうだな、狡いのかもしれない。…しかし」
 一瞬で身体を起こして詰め寄ると、雨月は俺の右腕を掴んだ。
「きっとその男は、妻をどうしても帰したくなかったのだ」
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